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『イノベーション基礎プログラム』第2回目 2027年1-2月
Update
こんにちは、山内です。
ポッドキャスト『敗者のつぶやき』で、「世界の終り」を議論しました(Apple Podcast / Spotify Podcast) 。ちょうど先週あたりから、元AnthropicのJacob Coxonが人類滅亡に警鐘を慣らしたtweetがバズって、その後CEOのDario AmodeiがAI開発を減速するべきだと表明して、メディアは人類滅亡で持ち切りです。
2010年代後半から、世界の終りについての言説が強くなり、2020年代後半には社会全体を覆うようになりました。世界の終りへの不安はAIが原因ではありません。2010年代では気候危機の文脈で議論され、2020年代にAIが強調されるようになりました。AIの議論が高まる前から、世界の終りを人々が感じていたということになります。
なぜでしょうか? 結論を言うなら、世界が悪化している、崩壊に向かっているという感覚が2010年代から感じられたのです。それは世界が広がらないという感覚、世界に余白がないという感覚です。
「2016年ノスタルジア」と言って、10年前のインターネットを懐しむ声が聞かれます。2016年ごろから、プラットフォームが利益を絞り出すために、私たちの生活にぴったりと貼り付き、1秒、いやコンマ1秒の合間すらコントロールするように感じられるようになってきました。ソーシャルメディアは2010年代最初に盛り上がったときには、人々が自分で発信できるという希望に満ちたものでしたが、それ以降は投げつけられるものを受動的に消費するだけになっていきました。インターネットに余白がなくなったのです。
若い世代が家を買えないという現実が2010年代後半から見られました。当時の若者であるミレニアル世代、そして2020年代にはZ世代は、生活に余裕がなくなったと感じたのです。たしかにシリコンバレーや金融街ではエリートが高収入を得るようになりましたが、2018年ごろには、サンフランシスコでは、年収500千ドル(当時は5千万円強)でも低所得層だというような議論が聞かれるようになりました(実際にはかなり誇張が入っていましたが)。
それまでの世代は、ローンを組んで家を購入すると、引退するころには資産になっているというストーリーには現実味がありましたが、それ以降はそのような以前の世代に比べて、自分たちの世界には希望がないと感じようになりました。現在、リベラルの政治が住宅問題に注力しようとしているのには理由があります(例えば、「アバンダンス」思想など)。
インターネットや住宅だけではありませんが、このように余白がない状態では、みんなが生きていくのが不条理であり、この世界自体がおかしいと思うようになります。ディストピアは、世界が終るという感覚に対する応答というだけではなく、世界が終って欲しいという欲望の現れでもあります。
世界の終りは、ハリウッド映画では定番のテーマです。1980年代から冷戦の核戦争の危機に直面したとき、世界が崩壊した後の世界が描写されました(『ターミネーター』や『マッドマックス』)。90年代にはCGIの発達と共に、世紀末の雰囲気もあって、大量に制作されるようになります(『インデペンデンス・デイ』、『アルマゲドン』、『ディープ・インパクト』など)。
もちろん映画では、世界が終る直前で、ヒーローがそれを食い止めるというようなストーリーがあります。しかし、世界が終ること自体に、何か抑えることのできない魅力があるのです。世界が終って欲しいのか、終って欲しくないのか、どっちなのかわからないというのがポイントです。
現実の世界がどうしようもないとみんなが感じているときに、それの終りは何か楽観的な感覚を与えます。Zupancicは言います。「私たちの苦痛の終わりというものを、別の「終わり」(それらすべてを一度に片付けてくれるような終わり)へと先送り(委任)」していると(2016, The End, Provocations)。つまり、自分のしんどい人生の終りを、世界の終りに託しているのです。
そして、この終りは、自分から生み出すものではなく、映画では隕石が衝突するなど外から否応なくやってくるものとして、つまり自分たちの力とは無関係なものとして想像します。つまり、誰かが、自分たちを苦痛から解放してくれるというわけです。さらに言うなら、終りが来て破壊してくれるということは、現在何もしないことを正当化します。
世界が終ってくれたらいいと言うとき、人々は自分だけ助かるとか、自分は助からなくても、そこから全く新しい世界が始まるということに希望を見出しているところがあります。シリコンバレーの富豪たちが田舎にバンカーを作り、銃、バイク、食料、抗生物質などを溜め込み、世界の終りに備えている(prepper)のは、まさにそれです。世界の終りを目指しながら、生き残ろうとしているのです。世界の終りは、この苦痛に満ちた世界ではなく、キレイにゼロから新しい完璧な世界を作りたいという不可能な欲望の幻想でもあります。もちろんそのような世界を作ろうとしても、今と同じような苦痛に満ちた世界になるだけです。
この矛盾を理解するというより、この矛盾の理解不可能性を捉えることが重要です。Frank Ruda (2016, Abolishing Freedom)が引用しているところですが、Immanuel Kantは晩年、「万物の終り」という文章を書きました。Kantも、この世界の終りの恐怖と魅力について語っています。
この思想には、何か物怖ろしいものが潜んでいる、それは我々を誘って、いわば底無しの深淵--ひとたびその中に落ち込んだら二度と帰って来られないような深淵の縁に立たせるからである
それにもかかわらず、この思想にはまた何か我々を惹きつけるものがある、我々は、ひとたびは慄然(りつぜん)として怖じおそれた眼を、またもや幾度となくそこに向けることを止め得ないからである
それでは、なぜ世界の終りを求めるのでしょうか? カントの答えは、次のようなものです。世界が存続しているのは、人間は自らの存在の究極目的を達成するためであり、その目的が達成されないなら、「それはあたかも大詰めのない、従ってまた筋の通った趣向のない芝居と一般だ」ということです。だから、何らかの目的が達成されることが重要で、それは終りに到達することを意味します。究極目的が達成された後には何もないので、世界が終ります。
世界の終りの後には何も残りません。空間も時間もなくなります。無が残るのではなく、無すらも残らないのです(Less than nothing)。だから、終りを理解することは不可能です。なぜなら、理解するということは時間の中でのみ可能ですが、時間もないからです。そして、我々は一切存在しなかったことになります。Kantは、ここで私たちがニヒリズムに陥ることになると言います。無と同一になろうとするということです。ニヒリズムについてはまた別の回で説明したいと思います。
逆に、人間存在の目的を目指して、合理的に正しい道を選択するということも危険があります。Kantは言います。
およそ人間の手を経た一切の物の終りは、たとえその場合の目的が善であるにせよ、所詮は愚昧である、それは— 彼等が目的を達成するために用いる手段は、かえって彼等の目的に反する、ということである。
つまり、目的に対して手段を選んだとしても、その目的に近づけないどころか、それから遠ざかるということです。なぜでしょうか? 結局のところ、有限の人間の理性が、そもそも究極の目的を理解でき、それを実現できるという考え方自体が、理性に反するからです。目的のために合理的な手段を用いることができるというのは、合理的ではないですし、合理性から遠ざかることなのです。逆に合理性を掲げて正しい道を示し、自分に、そして人々に強制することこそが、世界の終りの始まりなのです。
たしかに、今は先が読めないだけではなく、社会がより悪い方向に向かっているというディストピアな時代です。すでに議論してきたように、フッきれて先を考えず、過剰に相手を攻撃すること(マノスフィア、白人至上主義)、ギャンブルにのめりこみ(暗号通貨、予測市場)、薬を打ち込んで体を改造すること(GLP1、テストステロン、ペプタイド)、などの動きが活発になってきました。同時に、民主主義からイグジットするというエリート、反キリストを語るシリコンバレーの大富豪、人類の滅亡と人間を越えた知性を肯定するAI加速主義のCEOなどもいます。どれも、世界の終りを前にしたニヒリズムか、世界の終りに自分の苦痛を託すことや終りの後に理想郷をゼロから打ち立てようとする幻想が見て取れます。
それでは、どうすればいいのでしょうか? 私たちには何もできないという「不可能性」の中に、可能性を見つけることしかありません。世界を変えることが不可能だから、その世界自体が終ることを期待するのではなく、不可能性に向き合うということです。そもそも世界に意味はないこと、自分にも目的がないことからスタートすること、つまり世界はすでに終ってしまっているということからスタートすることです。そこからどのような文化を生み出せるのかが争点となっています。
1. 『イノベーション基礎プログラム』第2回目 2027年1-2月
『イノベーション基礎プログラム』の第二回目を来年1月から4週間で実施します。是非ご参加ください。
1/23 土曜日対面(東京) 11:00-17:30
1/28 木曜日オンライン 19:00-21:30
2/6 土曜日対面(京都) 12:00-18:00
2/15 月曜日オンライン 19:00-21:30
2/20 土曜日対面(東京) 11:00-17:30
イノベーションを起こすための考え方と方法を集中して体験することのできるプログラムです。社会人の創造性人材育成拠点を作るという国のプログラムで立ち上げたものですが、今年からより広く多くの方に参加いただけるように、4週間の集中プログラムとして組み直しました(総時間数は同じです)。内容を理解し実践するだけではなく、同じように取り組んでいる社会人創造性人材のコミュニティに参加し、継続して自分を磨いていくことも魅力のひとつです。
「良いもの」を作れば売れる。あるいは「潜在ニーズ」を満たせば成功する。 これはイノベーションの本来の姿ではありません。本当のイノベーションとは、既存の価値観の中で良いものを提示することではなく、「良い/悪い」という評価基準そのものを解体し、書き換えてしまうことにあります。
まず、社会の微細な変化を捉えることから始まります。イノベーションは孤立したアイデアからではなく、歴史の流れの中から生まれます。まずは現在の社会を「点」ではなく「星座」として捉え直します。
次に、「意味」を攪乱し、歴史を断絶させます。これまでの歴史の延長ではなく、それに断絶を入れることで、これまでの「当たり前」を攪乱し、全く新しい意味の地平を提示する人文学的な方法論を探求します。
最後に、断絶を潔く表現し象徴を打ち立てます。よくないものを隠してよいものに仕立て上げるのではなく、よくないものをより強調(double down)していきます。
この方法論「エステティック・ストラテジー」の詳細については、こちらの動画などをご覧ください。
30名 (参加費 25万円・税込)
申込多数の場合には打ち切りあるいは選抜する可能性がありますが、できるだけ多くの方に参加いただけるように調整します。
詳細はこちら。https://assemblage.kyoto/innovation-basic/
ご不明な点があれば、気軽にご相談ください。
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